lundi 11 janvier 2010

Livre A 第2章


科学が上に述べた通りであるとすれば、何が原因で、何が原理なのかをより仔細に検討しなければならない。問題をはっきりさせ、より容易に扱うためには、賢者(と哲学者)の意見を分析すればよいだろう。

この点に関して、第一に考えることは、賢者の主な利点は、個別の知識は持ち合わせていないがすべてのことの全体を知っていることである。第二に、賢者とは、到達が難しく、普通の人では苦労なしには成し得ないことを知ることができる人である。第三に、人がより正確に、よりうまく他人に教えられるだけ、科学においてより賢く、より進歩していると考える。最後に、科学の中でそのもの自体のため、知ることだけのために探索する科学が、物質的な結果を求めるものよりもより哲学的であると判断する。同様に、最も高いところから支配しているものは他の科学に従っているものより、より「智」に満ちていると考える。なぜなら、賢者は誰の支配も受けることはなく、むしろ彼が支配する方だからである。

最初の点、すなわち、賢者がすべてを知り得ることについて、全体の科学について完全に知っている者にこの優位性があるのは明らかである。なぜなら、すべての個別例はこの一般性のもとに含まれるからである。第二に、一般的概念は感覚から最も離れているため、それを獲得するには最も苦労する。第三に、何にも増して最も正確な知識は第一原理を直接問うものである。その例として、算数、特に幾何学をあげたい。さらに、原因を研究する科学は他のどれよりも自らを教育することができる。なぜなら、真の教育とは個々のものの原因を詳細に説明することだからである。それから、そのもののためにだけに学ぶことに関して言うと、それこそ科学の最も優れた特質である。なぜなら、知るためにだけ知ることを考える時、科学の中の科学に没入しているのである。[982 b] その科学こそ、もっとも完璧に知ることができるものを研究する科学である。最もよく知ることができるものは、原理と原因である。なぜなら、ほかのすべてを知るのは中間にあるものや最終的な結果を介してであり、個々の詳細は原理を掴むには不十分だからである。最後に、原理の科学は個別のものが成されるべき目的を知っている科学で、その最終目的は善である。普遍的に言うと、これこそ自然全体のおいて可能な最高の善である。

以上から、われわれが求めているのは、唯一つの科学で、第一原理と原因に関わる科学でなければならない。なぜなら、善と最終目的こそ個別のものを創り出している原因の一つだからである。第二に、この科学は実用的な目的を持たない。最も古い哲学者が証明しているのはここである。現在と同じように初めにおいても、人を哲学に導くのは驚きと感嘆である。理解できない現象の間で驚き、まず最も理解できるところで止まり、一歩一歩進みながら、疑いと検証を次第に重要な現象に向けていった。それはまず月から始まり、太陽、星の動き、さらには宇宙の形成を考えるようなものである。自らにこれらのことを問うのは、それらを知らないということを知っていることである。智の友人であり、寓話を愛し、ものごとを説明しようとする哲学者であるということである。なぜなら、寓話や神話は不思議なもの、驚くべきものでしか構成されていないからである。



もし人々が哲学することを求めたのが無知を晴らすためだとすると、この科学をこれほど熱心に研究したのはものごとを知るためだけであり、物質的な利益を求めたものではないことが明らかである。そこには無私無欲しかない。この営みをする時には、生活の便宜や楽しみさえすでに満たされていたのである。このように、哲学は実利を求めるものではない。他人のためではなく自らだけのために働く人を自由であるとするのと同様に、この科学も何よりも自由である。なぜなら、それ自体以外には全く目的がないからである。

したがって、この科学に精通することは人間性を超えることを発見したことになる。なぜなら、人間の性質は多くの点で奴隷だからである。シモーニデースによると、「この高貴な特権である自由を享受できるのは神しかいない」。人間はそれが可能な科学を探求しなければ自由を享受することができない。もし詩人が真実を語り、神はどのような嫉妬の感情を抱き得ないとしたならば、[983 a] ここでは特に嫉妬の問題になるようだ。この科学に卓越したすべての者は神の苦しみに圧倒されるだろう。しかし一方で、神々が恥ずべき嫉妬に身を落とすことはあり得ない。諺が言うように、大嘘つきなのは詩人である。しかし、これ以上の尊敬に値する科学はないことも考えなければならない。他方、これは最も神々しく最も高い所にある科学である。しかもこれは二つの理由で唯一無二のものである。第一に、神の他のすべての特性以上のものであるはずの科学は、すべての科学の中で崇高なものである。第二に、それが世界に一つあるとすれば、神々のものを扱うべき科学である。すなわち、哲学(だけ)がこの二つの利点を結び付けることを期待される。なぜなら、神は原因とものごとの原理であり、このような科学を持つ唯一のものであるか、少なくともわれわれの誰よりも無限に多く持つはずだからである。したがって、他のすべての科学は哲学よりも必要であるが、哲学を超えるものは一つもない。

ここでは、われわれが求めている科学の性質とはどんなものなのか、この探求が設定する到達しなければならない目的、またこれから集中することになる研究とは何なのかについて説明したと思う。


Aucun commentaire:

Enregistrer un commentaire