samedi 13 février 2010

Livre A 第3章


明らかな点は、根本原因の科学を習得しなければならないということである。この原因という言葉には4つの異なった意味がある。第一は、ものの本質、すなわち、そのものをそのもの成らしめているところのものである。第二は、その物質であり、第三は、ものの運動の基にあるものである。そして第四は、これらとは反対に、ものが生成される最終目的である。善がこの世界において生成され、消滅するすべての最終目的であるので、ものの善こそが最終目的になる。

この4つの原因については「物理学」の中で充分に論じてはいるが、われわれに先立って存在について研究し、哲学者の中の真理を求めた人の意見を振り返ってみたい。なぜなら、彼らも原理や原因について語っているのは間違いないからである。この検討は、これからここで行う研究のための有用な前段にもなるかもしれない。また、この検討により、新たな原因の体系を発見したり、上で述べた4つの原因からなる体系をより完全に確認することになるかもしれない。

最高の哲学者、あるいは少なくともその大部分がすべての存在の原理を発見したと確信するのは、物質の次元においてだけである。すべての存在を構成するもの、すべての存在が出現する原初の源であるもの。破壊された時、深奥にいつまでも消えずにあり、修飾されるだけの物質。それが、哲学者の目から見ると、ものの最小単位や元素であった。何も生まれることも消え去ることもないと彼らは結論した。なぜなら、この自然は保存され、永遠に存続すると理解したからである。

しかし、これらの元素の数やその特別な性質になると、最早意見の一致をみない。例えば、この哲学体系の創始者であり中心人物であるターレスは、水がすべての存在の根本的な元素であると主張した。そこから彼は土は水の上に浮いているとも断言した。おそらく、彼はこの仮説をすべての存在の栄養は湿っていること、熱は湿気からくること、生きとし生けるものを生かしているのは湿気であること、などの観察から引き出したのだろう。

・・・[984 a]・・・

アナクシメネスディオゲネスは水の前に空気が来ると信じ、単純な物体の主要元素は空気であると見做していた。ヒッパソスヘラクレイトスは主要元素は火であると考えた。エンペドクレスはこれら3つに土を加え、四大元素とした。彼はこれらの元素は永遠であり、発生、増加、減少することは決してないと想定した。エンペドクレスより年上だが、彼より後に活躍したアナクサゴラスは、構成成分は無限であると主張した。彼によると、同様の部分からなる物体は結合、分解することによってのみ、生成、消滅する。

これらすべての説によれば、物質の形をとって自然界にあるものにはただ一つの原因しかないと考えざるを得なくなる。しかし、この道を進むにつれ、より深い探求の必要性に迫られることになった。もし消滅と生成がある元素(その種類はともかく)だけにより行われるとすると、この変化はどのようにして起こり、その原因は何なのだろうか。例えば、寝台を作るのが木ではなく、銅像を作るのが青銅ではない。感じ取る変化を起こしているのは木や青銅ではないことを言いたいのだ。変化の原因は感じ取る対象とは異質のものである。この原因を探すことは、全く他の根本要素を探すことを意味している。それこそ、そこから運動が始まるところの根本要素である。初めてこの研究に着手し、求めるものが絶対にひとつであると宣言する者にとっては、そこに何の困難もないように見えた。

しかし、彼らの中で、この探求の壮大さに打たれ、体系の統一性を主張する者は、その統一性は絶対的に不動で、自然全体も不動であると宣言した。それは生成と消滅を繰り返すものではないのみならず、他のあらゆる変化を [984 b] 免れるからである。この運動の否定は、この派の哲学者に特有の教義である。このように全体の統一性を主張する人の中には、運動を起こす原因を認めるものは、おそらくパルメニデスを除いて一人もいないだろう。その彼にしても、原因の統一性だけではなく、二つの原因を認めるという範囲内で運動の原因を見抜いたのである。いくつかの元素を信じ、例えば寒さと暑さ、あるいは火と土を認める哲学者は、運動の原理をより容易に受け入れることができるだろう。なぜなら、彼らの考えによれば、火は基本的に動く性質により生命を与えられるのに対して、水や土、さらにそれと同様の物体は全く対立する作用によるとされるからである。

これらすべての哲学者、そして存在の生成や性質を説明するには無力であったこれらすべての元素の後に、賢者は自らが認めたものの基盤となる真の原理を探求せざるを得なくなる。なぜなら、あるものが善いもの、美しいものであるようにするものは、おそらく土やそれと同列にある要素ではあり得ないだろう。また、これらの哲学者がこれほどいい加減な考えを抱いたとも考えられない。事実、これほど重要なことについて偶然の作用に任せるのも極めて理に叶わないだろう。ある人間が、自然界や生物における秩序や規則性の原因はひとつの知性であると宣言した時、その人物は理性だけを持っており、彼の先駆者たちが酔っぱらった後に素面でいるような印象を与える。このような賢い意見の持ち主としてアナクサゴラスがいると確信をもって言えるが、彼の前にヘルモティモスがこの原因について指摘している。

世界においてすべてが善い状態であるようにする原因が、存在するすべてに命を与える運動が始まるところの原因でもあることを確立したのは、この体系の信奉者の哲学者である。


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