jeudi 24 décembre 2009

はじめに


「形而上学」という言葉を聞いたのは、おそらく学生時代のことだろう。しかし、科学の世界での生活を始めて以来、この言葉がわたしの辞書から完全に姿を消した。科学の世界とは無縁の世界と決めつけて歩んでいたからだろう。それが再び蘇ってきたのは、退官の数年前のことである。ある終わりが見え、自らの歩みを振り返る時、そこには形容しがたい不全感があった。科学をやり始めた当初漠然と思い描いていた、美しいもの、根源的なもの、原理のようなものに触れてみたいという願望がほとんど満たされていないことに気付いたのだ。ここ2世紀ほどの間にますます尖鋭化の度合いを増している還元主義こそ優れた科学であるという流れの中で、この不全感は解消されるのだろうか。その時、大きな疑念が湧いていた。

このような背景の中、科学の母である形而上学という言葉が浮かび上がってきたのだ。わたしが深く考察することなく捨て去った、おそらく全体を理解しようとする精神の基づく形而上学という営みは一体どのようなものなのか。こちらで科学哲学を学ぶ間、常に気に掛かっていたこの形而上学について、その生みの親であるアリストテレスの言葉に直に耳を傾けながら考えてみたいという欲求が生まれて初めて湧いていた。その営みは単に自らの歩みに光を当てるだけではなく、科学と哲学の関係や現代科学に対する新たな視点を提供してくれそうな予感がしている。

学問の世界では、古代ギリシャ語を理解せずしてギリシャ哲学を語るなかれという掟があるはずである。しかし、この掟に従っていると autodidacte は多くのものを失うだろう。ここではアリストテレスの声をフランス語で聞くという大胆なものになる。その中から、現代のみならず未来に向けての新たな見方が生まれてくるとすれば望外の喜びである。そんな淡い期待の中でこの営みを始めたい。お付き合いいただければ幸いである。


実際に手に取るのは、以下のバージョンになる。

Métaphysique (Aristote)
Traduit par Jules Barthélemy-Saint-Hilaire
(1991, Pocket Agora)