dimanche 3 janvier 2010

Livre A 第1章


このブログでは逐語訳ではなく、メモを取るように要訳、意訳していきます。
読みやすさを考え、段落を変えることもあると思います。
もし余裕があれば、コメントを加えることもあるかも知れません。
いつものようにどこまで行けるのかはわかりませんが、とりあえず
" On y va ! "

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[980 a] 人間は知りたいという情熱を自然に持っている。その傾向がわれわれすべての中にあることは、感覚を受け取った時に感じる悦びでわかる。それが有用なものかどうかとは無関係に、知覚そのものを愛している。その中で最高なのが視覚である。視覚は最も多くの情報を与えてくれる。

動物にも感知する能力が備わっている。しかし、ある動物では感覚が記憶の形成に至らないが、他のものでは記憶が生まれる。 [980 b] 記憶の形成が、知能の優劣を決めている。記憶により、無限に自らを教育することができる。知能が優れていながら学習できない動物では、聴覚が備わっていない。記憶に聴覚が加わると学習できる状態になる。

このように、人間以外の動物は感覚と記憶によって生きている。しかし、動物では経験を上手に生かすことができない。一方、人間は技術 (art) と熟慮の能力を持っている。経験を形作るのが記憶である。 [981 a] 経験は科学や技術に匹敵する。人間においては、経験が技術や科学の生みの親である。技術が生まれる瞬間というのは、経験が蓄積され、それが一つの一般的な概念になる時です。病気の有効な治療薬を決める時には、観察と経験がものを言う。現場では、経験と技術が混同されている。経験では特別な例しか知ることができないが、技術は一般的な概念と結びついている。一人の患者を治したからといって、(その病気を持っているすべての)人間を治したことにはならない(治療法が概念にまでなっていない可能性があるから)。さらに、理論的な概念しか持たず経験を欠いている場合、一般的な概念は知っているが特殊な例を知らない場合のいずれも危険を冒すことになる。

物事を知り、理解するのは、経験よりは技術に因ると思われる。技術の規則に則って動く人は、経験だけ従う人よりも見識があり、賢いだろう。それは前者が物事の原因を知っているからである。すなわち、経験は物事の状態を教えるだけで、その理由について語らないが、技術は理由と原因を明らかにするからになる。最も評価する優れた、[981 b] 手仕事だけの労働者より科学を期待される人間は建築家である。それは、建築家が自ら造るものの原因を知っているからで、労働者は自らの仕事について何も知らずに働くに過ぎないからである。

一般的に、あることを真に知っているということは、それを他人に教えることができることである。技術が経験に勝ると考えるのは、技術を持っている者は教えることができ、経験だけの者はそれができないからである。知覚はある物について強烈で決定的な印象を残すが、なぜそうなのかは語らない。火は熱く火傷するが、その感覚は火がなぜ熱いのかについては教えてくれない。知覚と科学が別物である理由がここにもある。すべての人が感じる知覚を超えてある技術を最初に発明する人は、有用な発見者としてだけではなく、すべてに勝る賢者としておそらく賞賛を浴びるだろう。ひと度すべての不可欠な技術ができあがると科学が現れる。それは人間が休みに専念できる環境でまず生まれた。数学は聖職者階級が余暇を有効に使えるエジプトで生まれた。

ここで言いたいことは、智(哲学)の名を冠する科学の役割は、事の原因や原理を明らかにするということである。これまでをまとめると、経験は科学としてのレベルでは感覚より優れ、技術の蓄積に導かれる人は経験だけに頼る人より優れている。建築家は労働者より上にいる。[982 a] 理論による科学は、経験だけの科学より優れている。最後に、当然の帰結として、智(あるいは哲学)こそ、あるものの原因、確実な原理を研究する科学である。

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